無。

なにもありません。

「プライド」で感じたもの

 金子達仁の「プライド」を読んだ。

 1997年に行われたプロレスラー高田延彦柔術ヒクソン・グレイシーの試合とその実現のために関わった人たちについて書いたノンフィクションだ。

 

 1994年に生まれたぼくは当時何がはやっていたかなんて覚えているわけがない。ただ話を聞くとちょっと今では考えられないくらい格闘技というものが熱を持って観られていた頃らしい。

 これより何年か前には第一回UFCが開催された。今みたいにルールがよく整備され、多彩な技術を持つ洗練されたファイターたちが戦う場ではなく、禁じ手は最小限で参加者たちは自身が習得してきた格闘技こそが最強だと思って来たのだろう。まだ総合格闘技なんて概念が確立される前の話。

 そこで諸派の格闘家を破り優勝したのはひょろっとした道着姿の、全然無名だったブラジル人ホイス・グレイシーだった。彼は地味であまり馴染みなかっただろう寝技中心の技術で次々に自分より大柄な相手を倒してきた。これがブラジリアン柔術の名が世界に響いた瞬間ではなかっただろうか。そのホイスはその後「兄のヒクソンは私より十倍強い」と言った。当然みんな思っただろう。いや誰よその人って。ただ並み居る格闘家を倒して第一回UFCチャンピオンになったホイスより十倍強いってまだ姿を見てないけど相当やばいやつなんだろうなと視聴者は感じたに違いない。素敵なお膳立てではないか。当時を生きたわけではないけど、それを聞けばなんとなく熱いものが込み上げてきてどきどきする。

 

 対してプロレスラーの高田延彦は当時すっかり荒んでいたらしい。新日本プロレスから始まった彼のプロレスのキャリアはその後離反、と新団体加入を繰り返しUWFインターナショナル設立に至る。そこまで様々なトラブルや政治的闘争を経験してきた高田の疲弊した精神は冒頭で、痛々しいまでに書かれていた。極めつけは苦しい経営の中で行った新日本プロレス武藤敬司との試合。ブックの存在が作中示唆されている。

 強いものに憧れてプロレスラーを志したのに、結局は会社のために敗北の筋書きを受け入れた。正しく挫折だろう。

 

 この二人の試合の実現、PRIDE.1に至るまでの経過を軸に、そこに関わった人たちへの取材も多く盛り込まれている。もちろん当事者ヒクソン・グレイシーへのインタビューも。

 個人的な印象だけれども、ヒクソン・グレイシーという人物からはどこか神々しさというか超然としたものを本書を読む限り感じた。まるで人ならざるものみたいな。きっと少なからずそういう雰囲気のある人なのだろう。人間高田延彦はもしかしたら人の及ばぬ何かに挑んでしまったのかもしれないとすら思わせる。それとも強さを求めるあまりに、強いものであろうとするために冒頭ではヒクソンとの試合を熱望したのだろうか。それはもしかしたら憧れであったのかもしれない。そのボルテージは下がり続けたまま試合になだれ込むのだけれども……

 

 勝手な想像だけれどもまだMMAという言葉が浸透していなかった時代に近い文脈で使われた言葉があったとしたら、それはプロレスではないかと思う。まだその境界線が曖昧な時代だったと聞く。

 今は格闘技もグローバル化の時代。東洋の武術、武道も西洋の格闘技も混ざり合い総合格闘技という新たな競技が確立されつつある。異種格闘技戦の時代は過ぎたのだ。けれども当時はそれらが接触し始めた頃で、どんな結果が出るのか誰にも予測できなかったのだろう。たとえ実際に戦った当事者たちには見えていたとしても。

 格闘家もプロレスラーも等しく、テレビという当時の一大マスメディアを通して、自身の誇りを、命を賭けて戦う姿と共に人々に夢をあたえていた時代がたしかにあったのだと思うと羨ましくてならない。