無。

なにもありません。

感動がきっと来る

 新作がそろそろ公開になると聞いて最近映画「リング」を再鑑賞したのだけど、そこまでおもしろくなくてびっくりした。

 あの映画を初めて観たのはたしか中学生の頃だかだったと思う。午後ローで放映してたのを、というのはぼんやり覚えている。やっぱり最後のテレビから貞子が這い出してくるシーンはインパクトがあったけど、残念ながらそれ以外のことはほとんど覚えていなかった。唯一覚えていたのは松嶋菜々子は今も昔もかわいいということだけ。

 それくらい曖昧な印象だから新鮮な気持ちで観れるだろうと期待してたけど、これがあんまりおもしろくない。(演技はもう一つだけど)松嶋菜々子がかわいいだけ。何も印象が変わらない。井戸の中から髪の長い白装束の女が這い出てくる、というシチュエーションもすっかりパロディのネタとして定着してしまっているせいでラストの真田広之が死ぬシーンも全然衝撃がない。

 たぶん開始10分くらいで井戸の中から貞子がうん十人とわらわら出てきて景気よく人をぶっ殺しまくったらパニック映画として少しは楽しめたと思う。こういう場合井戸からわらわら出てくるのはなんでもよくて、例えば「呪怨」の伽椰子とか「13日の金曜日」のジェイソンでいいし、少し攻める路線にしたければプレデターとかでもいい。人型であるとか人間大のサイズであることに執着がなければ別にゴジラとか出てきても全然問題ないのだ。なんてどうしようもないことを考え続けていなければ到底最後まで観れるものじゃなかった。

 

 あれぇこんなはずじゃなかったんだけど、なんて鑑賞後にもやもやしたまま、無意識の内に「リング」電子書籍版を買っていた。映画のノベライズでなく、正真正銘、映画公開の七年前に書かれた原作小説だ。読んでみるとこれがむちゃくちゃおもしろい。基本的な大筋は映画とあまり変わらないけど、原作はミステリー小説の向きがだいぶある。作者の鈴木光司は当初この作品で横溝正史賞を狙ったのも頷ける。登場人物たちはどこまでも人間らしく論理的に、筋道を立ててビデオの呪いやその成り立ちを追求し、きちんとその答えに突き当たる。けど答えを見つけたからってそれが何なの? と言わんばかりに理不尽とすら感じる呪いの力は作用して最後に高山(映画だと真田広之が演じてた人)は死ぬ。そこでやっと人外の存在をはっきり認識できるからこわいのだ。もっと言うと原作に貞子がテレビ画面の井戸から出てくるシーンはない。それでもこわい、と読み手に感じさせるのだからやっぱり作家はすごいなと。

 ちなみに原作小説は続編の「らせん」「ループ」と三部作を成していて「リング」から読んでいくとむちゃくちゃおもしろい。ただし「らせん」後半辺りからホラー色はほぼなくなって以降は完全にSF(スペキュレイティヴ・フィクション)小説になっている。「ループ」に至ってはホラー要素は完全に取り除かれた純粋なSF小説

 個人的に一番おもしろかったのは二作目の「らせん」

 貞子の呪いの正体が科学的な見地から明らかにされていく過程とサスペンスとしてのスピード感が上手くマッチしていて娯楽小説としても楽しめる。ラストは一見悲観的だけど「ループ」まで合わせて読めばむっちゃ感動する。もうそこにあるのはただ家族や恋人に生きていてほしいがために命を懸けるかっこいい人たちの姿だけ。「らせん」の主人公安藤は自分のせいで死なせてしまった一人息子と再会し今度こそ家族が離れないように、といううっすらした望みのために貞子に屈するし、そんな彼に救済を用意した高山も実は大切な人たちのためにもがいていたんだという全体像が明らかになる「ループ」のラストシーンは涙を誘うわけなんですよ。もう呪いのビデオの話してる場合じゃない。本当におすすめ。

 

 たしかに映画「リング」は古井戸から貞子が出てくるシーン含め公開当時としては画期的でショッキングなホラーだったのだと思う。散々悪口を書いたし、すっかり陳腐になってしまったとは言うものの、新作映画が公開されるとなれば興味は湧くし、なんなら観に行こうという意思が今はある。映画シリーズは原作とは別に発展してきたし、それならではの魅力的がある。しかし原作もまた別の展開があったのです。新作公開を機会に小説にも目を向けてくれる人が増えるといいな、と思う。